ドラゴンボール@東映アニメーション |
今日は珍しく、本の話をしようと思います。
プライドが高い?低い?
スガタツ。は自分が所属していたコミュニティーにより
周りからの評価が変わります。
「プライド高いよねぇ」
とも言われますし、
「もっと、プライド持てよ!!]
と怒鳴られたこともあります。
そんな時に出会ったのがこちらの本。
男はプライドの生きものだから テレンス リアル,Terrence Real,吉田 まりえ 講談社 売り上げランキング : 538012 Amazonで詳しく見る by AZlink |
自分は、あんまり本を読まないので
「どの作者がいい」や「この作者なら安心して読める」などは
全然わかりません。
なので読んでいただいても面白いかどうかは
わかりません。
ただ、このブログでも時々取りあげてますが
「社会人」という言葉に過度な期待と不安?不信?をいただいています。
その中で、
社会人を社会人たらしめるプライドが何か全くわかりません。
「良き社会人」を目指し、再出発中の僕には
とても惹かれるタイトルでした。
読んでみて・・・
読んでみたらびっくり。
何と精神疾患等のカンセリング?の本でした。
アメリカのカウンセラーが出会った患者とのカウンセリングの記録、
カウンセラー自身が抱えるトラウマとの向き合い方
が記されておりました。
今まで、ブログでもお伝えしていませんでしたが、
自分も現在、心療内科に通院中の身です。
出会うべくして出会った本だったのかもしれません。笑
で、どんな内容なの。
著者のテレンス・リアルは臨床心理士であり、
主に家族や夫婦のセラピーを行っているという方でした。
タイトル通り、「男」が陥りがちな心理がテーマになっています。
男性は幼少の頃から「男らしく」振る舞うよう教育を受け、
周囲からも無言のプレッシャーがかけられる。
例えば、
優しい性格といえばどちらの性別を思い浮かべますか?
多分、大勢の方が「女性」を思い浮かべると思います。
「活発な子が走り回ってる」
という文章があったら思い浮かべるのは
「男の子」が公園で走り回ってる姿を想像すると思います。
簡単に言えば
「男の子なら泣かないの!!」
「男の子なら我慢しなさい」
「男は寡黙であれ」
「武士(男)に二言はない」
のような言葉を無意識に浴びる・使うことにより、
「男性たるものはこうあるべき」だと男性自身が規定し
気づかぬうちに自分自身の感情を押さえ込んでいってしまう。
その感情が原因となりアルコールやセックス、
そして仕事などに中毒症状を引き起こし、
自分や家族の生活の崩壊をもたらす原因となっている。
もし男性が自分自身の優しさや繊細さを素直に受け止める事が
できれば何も問題はない。
しかし、多くの男性が「優しさや繊細さ」を
「女々しい性質」として捉え、
自分の心の中にある腫瘍を自分自身から隠すために中毒行為に走る。
そうして何年も何十年も心の不安定感を放置し、
定年を迎えたり、自分の置かれる環境が変わり中毒行為を失うと、
鬱積していた感情が襲いかかり、
ただでさえ壊れかけていた生活に痛恨の一撃を受ける事になる。
という内容でした。
この本で取り上げられる症例は、
先に記させていただいた通り著者も含まれます。
彼の父はとても暴力的な男(俗に言われる頑固親父)であり、
彼と彼の兄弟は常に父の暴力へ怯え生活していました。
そして彼は父に強い反発を抱え、弟は父を単純に避けるようになります。
彼は20代の頃アルコールとドラッグに溺れてしまいます。
それは、彼が心の不安定感と戦う(逃れる)ためにとった方法でした。
その行為により彼は、死に直面してしまいます。
死を免れた彼はセラピストを志します。
その過程で父との対話が必要であることに彼は気づきます。
父は彼に対し否定以外の感情をぶつけることを拒むが、
成長した彼は父の「怒り」を、、、
というか父そのものをもはや恐れていませんでした。
むしろ恐れを抱えているのは父の方だったのです。
息子は父の怒り(恐れ)をやさしく肯定できる力を身につけていました。
時間をかけながら、父は彼に幼少時代の苦しかった事、
大人に拒絶され、誰にも話せなかった苦しみを吐き出していきます。
父は社会という存在を見限り、
他人を見下す事により自分の存在意義を見出していました。
そのような「父」が老いを自覚し、
今まで拒絶してきた「子」に助けられながら、
「人生に大切なのは愛だ」
「俺のようにはなるな。家族を大事にしろ」
と息子たち語りかけるまでになります。
もちろん「父」が家庭を無茶苦茶にしてきたことが
清算されるわけではありませんが、
どんな状況でも前を向ける・ポジティブに人生に向き合える
「男らしさ」とは別の意味での「強さ」を手にします。
アメリカという日本とは違う社会の話でも
感情移入できる部分が多々あり、終わりまでスラスラと読めました。
タイトル通り、「男」が陥りがちな心理がテーマになっています。
男性は幼少の頃から「男らしく」振る舞うよう教育を受け、
周囲からも無言のプレッシャーがかけられる。
例えば、
優しい性格といえばどちらの性別を思い浮かべますか?
多分、大勢の方が「女性」を思い浮かべると思います。
「活発な子が走り回ってる」
という文章があったら思い浮かべるのは
「男の子」が公園で走り回ってる姿を想像すると思います。
簡単に言えば
「男の子なら泣かないの!!」
「男の子なら我慢しなさい」
「男は寡黙であれ」
「武士(男)に二言はない」
のような言葉を無意識に浴びる・使うことにより、
「男性たるものはこうあるべき」だと男性自身が規定し
気づかぬうちに自分自身の感情を押さえ込んでいってしまう。
その感情が原因となりアルコールやセックス、
そして仕事などに中毒症状を引き起こし、
自分や家族の生活の崩壊をもたらす原因となっている。
もし男性が自分自身の優しさや繊細さを素直に受け止める事が
できれば何も問題はない。
しかし、多くの男性が「優しさや繊細さ」を
「女々しい性質」として捉え、
自分の心の中にある腫瘍を自分自身から隠すために中毒行為に走る。
そうして何年も何十年も心の不安定感を放置し、
定年を迎えたり、自分の置かれる環境が変わり中毒行為を失うと、
鬱積していた感情が襲いかかり、
ただでさえ壊れかけていた生活に痛恨の一撃を受ける事になる。
という内容でした。
この本で取り上げられる症例は、
先に記させていただいた通り著者も含まれます。
彼の父はとても暴力的な男(俗に言われる頑固親父)であり、
彼と彼の兄弟は常に父の暴力へ怯え生活していました。
そして彼は父に強い反発を抱え、弟は父を単純に避けるようになります。
彼は20代の頃アルコールとドラッグに溺れてしまいます。
それは、彼が心の不安定感と戦う(逃れる)ためにとった方法でした。
その行為により彼は、死に直面してしまいます。
死を免れた彼はセラピストを志します。
その過程で父との対話が必要であることに彼は気づきます。
父は彼に対し否定以外の感情をぶつけることを拒むが、
成長した彼は父の「怒り」を、、、
というか父そのものをもはや恐れていませんでした。
むしろ恐れを抱えているのは父の方だったのです。
息子は父の怒り(恐れ)をやさしく肯定できる力を身につけていました。
時間をかけながら、父は彼に幼少時代の苦しかった事、
大人に拒絶され、誰にも話せなかった苦しみを吐き出していきます。
父は社会という存在を見限り、
他人を見下す事により自分の存在意義を見出していました。
そのような「父」が老いを自覚し、
今まで拒絶してきた「子」に助けられながら、
「人生に大切なのは愛だ」
「俺のようにはなるな。家族を大事にしろ」
と息子たち語りかけるまでになります。
もちろん「父」が家庭を無茶苦茶にしてきたことが
清算されるわけではありませんが、
どんな状況でも前を向ける・ポジティブに人生に向き合える
「男らしさ」とは別の意味での「強さ」を手にします。
上記の父の症例だけではなく、様々な人物の症例を取り上げています。
妻の精神疾患を疑い、セラピーを受けにきた夫自身が
実は重大なトラウマを抱えそれを見ないようにしていたなどなど。アメリカという日本とは違う社会の話でも
感情移入できる部分が多々あり、終わりまでスラスラと読めました。
心の不安定感
記事中で「心の不安定感」と自分は表記しましたが
本文内では「隠れたうつ病」と表現されています。
本書の中に
「隠れたうつ病」においては、防衛的行動または嗜癖(しへき≒中毒:引用者)行為によってダメな自分から誇大化した自分へと飛躍するが、そのどちらでもない健全な自己評価に到ることはできない。うつ病の根になっている自己の内面と向き合うことなしには、健全な自尊心を持ちえないからである。どんなにあがいても、内面の痛みを隠蔽したまま癒される道はない。[p.71]
という部分があります。
この文章に出てくる「健全な自尊心」というものが
僕が欲してやまない、身につけなければならないものだと考えています。
僕は嘘つきます。辛いものから逃げる癖があります。
それは上記の引用にある防衛的行動からくるものだと考えています。
- 他人の中にある自分を崩したくない
- 自分の理想像と乖離している自分を認めない
健全な自己評価とは懸け離れた誇大化した自尊心を満たすための行為です。
自己の内面を見つめゆっくりですが
「誇大化した自尊心」ではなく「健全な自尊心」を持てるようになりたいです。
そう、誇り高きサイヤ人の王子ベジータのように。
もし、ちょっとでも気になったら読んでみてください。